自主公開プログラム

2015年8月第四週

第32回:「これを望むに木鶏に似たり」。木鶏について考えよう。

  

私は、昭和20年生(1945年生)で、2015年で、70歳の古希を迎えます。7月後半、沖縄県全体で行う合同古希祝賀会の開催案内が私の手元にも届きました。案内では、子役として雑誌「少女」の表紙を飾り、当時アイドル的存在であった昭和20年生代表の松島トモ子(女優)を沖縄にお呼びして10月16日開催するとのことです。10年前の還暦祝賀会では1,000人集客したとのことですので、7割程度は、まだ健在と仮定すると700人程度は、沖縄県在住をはじめ全国各地の沖縄県出身の昭和20年生の有志が集まることになりそうです。私たち昭和20年生が古希を迎える年は、くしくも太平洋戦争の終結(日本の敗戦)から70年の節目にもあたります。
ところで私の母校宮古高校卒の昭和20年生の同期生の集まりは、「木鶏の会」と称します。荘子の木鶏からつけた名称にはいまさらながら驚きと感動を覚えています。かの昭和初期の大横綱双葉山は、自身の70連勝がストップしたときに、その日の夜、師と仰ぐ安岡正篤に「イマダモッケイタリエズ(未だ木鶏たりえず)」と打電したといわれています。双葉山のおかげで「木鶏」という語句が広く世間に認識されたとも言われています。荘子の木鶏の要点は、以下のようなものです。
昔、「紀省子(キセイシ)」という闘鶏を育てる名人がいました。その名人が王様の持っていた一羽の闘鶏を鍛え上げていました。元来、王様というのはせっかちなものです。10日もたたないうちに「もうぼちぼち手あわせてもいいではないか」とせっつくと、キセイシは、にべもなく断ります。「いや、」王様まだです。「ちょうど空元気を出している最中で、とてもとても。まだ手合わせる段階にはいっておりません」。そういわれては、王様は、無理にというわけにも参りませんので、一応引っ込みましたが、また、10日もたたぬうちに、王様がじりじりしまして「キセイシ」をせっつくわけです。「どうじゃ、もうぼつぼつええじゃろう」ところがキセイシは、「まだ相手を見ると、すぐ興奮する癖がございます。とてもとても、まだだめです」と、これも断ってしまいます。「そうか」と、王様は、不承不承引き下がるのですが、また10日も立つと待ちきれなくなって催促します。「もういくらなんでもいいだろう」。するとキセイシが、「まだいけません。かなりの自信はできてきたのですが、相手に対して、何をこやつという、向きになるところがあります。これがとれないうちは、ちょっと手合わせるわけにはいきません」と許可しません。王様は又10日待たされます。やっと10日待ったあげく、キセイシがその許可を与えます。「王様、もうぼつぼつよろしいでございましょう。相手が挑戦してきても、一向に平気で、ちょっと見ると木彫りの鶏の如く、その徳が完成しております。これからは、いかなる敵があらわれても、戦う前に尻尾を巻いて退散することでしょう」。実際、相手の闘鶏と手合わせてみましたら、はたしてそのとおりでした。相手の闘鶏は、ことごとく尻尾を巻いて逃げたのです。
木鶏とは、①戦わずして勝つ、②自然体を保つ、③泰然自若、④静かなること木彫りの如くという4つの教訓が含まれています。双葉山の「我いまだ木鶏なりえず」/「これを望むに木鶏に似たり」とは、畏敬の念を感じるばかりです。



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